それは小さな農家から
はじまった。
終戦直後食うや食わずの時代。三ツ木勝治(創業者)夫婦は、
分家の小さな農地に鍬を入れた。
いま思えば、この一振りが十数年後の調布みつぎ不動産研究所の
第一歩だったのかもしれない。
朝の3時から夜の12時まで働き続け、家族は麦を食べ、
米を売って土地を少しずつ増やしていった。
当時小学生であった三ツ木孝(現社長)も学校から帰ると食卓の上に
「どこそこの畑にいる」というメモがあり、
ランドセルを置き、畑に一目散に駆ける毎日であった。
昭和35年ごろ、調布にも都市化の波が押し寄せ、
農業だけでは生計が成り立たない時代になった。
時代の荒波の中で。
土地を買って農地を増やしてきた経験、
また地域の相談役として信頼を築いてきたこともあり、
農業の傍ら不動産業を始めた。
家族だけでみつぎ丸は出帆した。世はまさに、高度成長期の真っ只中。
土地分譲や建売分譲を盛んにやっていたが、
みつぎ丸は時代の風の変化を感じとった。
土地を転売して得られる目の前の利益よりも、土地を手放さず、
額は小さくとも賃貸収入の堅実な経営方針に大きく舵を切った。
土に生きる、みつぎの原点に戻ったと言える。
周りの不動産業者は、なお数百万数千万の粗利に熱を上げていた。
やがてバブルが崩壊して倒産が続いた。
強い組織をつくりたい。
平成15年(2003年)、創業者勝治が突然の他界。
二代目孝が三ツ木グループの経営を受け継いだ。
土地を持っていて値上がりを待つ時代は去り、
不動産の有効利用で収益を上げていかなければならない時代になったと判断した。
孝はこの難局に対し自身の力不足を感じ、経営者としての力をつけ、
また家族の力や会社の力を結集して乗り切っていこうと考えた。
自ら経営塾で学び、自分を磨いた。強い組織をつくりたい、
社会に強く必要とされる企業になりたい、の一念だった。
そして、新たな海へ。
平成24年(2012年)、三ツ木グループの事業発展計画書を発表。
グループとしての目指すブルーオーシャンが見えた。
私たちは全員で協力して新たな海へ帆を上げた。
その海図には、
「正しいことを考え、正しいことを行う会社である」
「働く喜びがある会社である」
「社員がより良くなる会社である」
という目標が掲げられた。
事業発展計画書は、まさにそれらを達成する誓書でもあり、
新しい海図でもあった。
たとえ小さな土地でも地球の一部。
平成27年(2015年)、
事業ごとに7つの会社に分かれていたグループを統合し、
「調布みつぎ不動産研究所」を設立。
半世紀にわたり、調布市とその近郊エリアに特化した
さまざまな形態の不動産を取り扱ってきたノウハウを集約し、
不動産資産活用における知識集団として、
地域のニーズに応えるべく始動した。
たとえ小さな土地でも地球の一部。
この土地を生かし、輝かせ、大切にするのが
調布みつぎ不動産研究所のミッションだ。
農業こそ変わらないみつぎの根幹。
どんなに時代が変わっても、
常にみつぎの根幹にあるのは「農業」だ。
現在、「農業法人調布のやさい畑」に綿々と受け継がれている。
調布と八王子に約9,000坪の自社農園を有し、200種類もの野菜を取り扱う。
土の恵みを地域で暮らす人々へ届けることは、先代から続く根幹をなす事業だ。
日本にとって大切な産業である農業は、
人件費を考えながら黒字化することは難しいのが現実という。
調布みつぎ不動産研究所では、6次産業化などの付加価値をつけて、
食べていける農業、農業の企業化を目指している。
みつぎ丸がこれから目指す進路
私たちは、不動産業という業種の中で
不動産オーナー業を基軸に事業を展開。
これからも不動産賃貸経営を極めることを目標に努力し、
培った知識・ノウハウを活かしながら、
地域・社会に貢献していくことを揺るぎない進路にする。
みつぎ丸は「地域に強く必要とされる会社」になるべく、
未来の大海に向かって、社員全員で帆をあげ進み続ける。